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洋服の出張販売から始まった経営者への道

洋服の出張販売から始まった経営者への道

石山ナティニーさん

ペッチャブーン出身。千葉県市原市にあるプラトーン・アジアンフードのオーナー。タイ料理の惣菜製造・販売、タイ食材の出張販売、ケータリング、イベントへの出店などの事業を展開。この8月には、気軽にタイ料理が味わえる「プラトーン・アジアンフード市原君塚店」もオープン。

 

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ナティニーさん(以下ナ): 私が日本に来ることになったのは、主人(利和さん)と結婚するためです。今から23年前の1987年。私は23才でした。来日以来ずーっと、ここ五井で暮らしています。ここは田舎でタイ料理が全然なかったの。出張販売してくれる食材屋さんもいましたが、ナムプラーは1本1500円もしました! 高くて買えないので、砂糖や塩、身近にある日本の食材を使って“なんちゃってナムプラー”を作ったり、主人にナムプラーが手に入る横浜中華街まで、連れて行ってもらったりしていました。

生活していくうちに、この辺りにはタイ人がたくさん住んでいることを知りました。商売がしたいと思っていた私は、タイでアクセサリーや洋服を仕入れ、タイ人やフィリピン人女性が働く店などに出張販売するようになりました。商品は自転車に積んで運びましたよ。あの頃は若かったですね。今はもう無理(笑)。さすがに辛くなって、途中からは車で仕事をするようになりましたが。
その仕事が軌道に乗り始めると、商品を置いておく場所が必要になってきました。アパートを借り、私はそこのキッチンで作ったタイ料理も売るようになりました。料理を作っているとその匂いに誘われて、アパートの住人が直接買いに来ることもありました。だんだん料理の仕事が本格的になってしまい、ついに小さなお店を借りて、タイの家庭料理が食べられる料理店をオープンしました。

今、プラトーン・アジアンフードの工場では毎日100kg以上のルークチン(肉や魚のすり身団子)を作っていますが、その始まりは私の手作りです。タイで食べていたルークチンが懐かしくて、ひとつひとつスプーンですくって茹でたものです。しかし、ルークチンも売れるようになると、自分1人の手作りでは間に合わなくなり、タイから機械を取り寄せて本格的に生産を始めるように。その機械でも間に合わなくなり、さらに大型の機械をタイから取り寄せました。あまりに大きかったので、入り口を壊して搬入したほどです。今、工場で使っているのがそうですよ。ものすごく大きかったでしょ?
利和さん(以下利):現在は、関東や中部、関西を中心に、北海道から沖縄までさまざまなタイ料理レストランに、ルークチンやサイウアなどを卸しています。わざわざルークチンをタイから輸入するのは大変ですから、日本国内で本物が手に入るということで重宝していただいています。ルークチン、サイクロークを初め、全ての料理は、作ってすぐに瞬間冷凍します。瞬間冷凍すると、旨味がそのまま中に詰まって外に逃げないのでおいしいんです。そしてうちの商品には、防腐剤などは一切使いません。だから体にも安心。それがうちの自慢です。
ナ:レストランだけでなく、タイ人の奥さんや研修生など、個人のお客さんからの注文も多いですよ。1食分を冷凍したクエッティオのスープやゲーンキョウワン、パットペットプラードゥックなどが人気です。遠くから注文してくれるお客さんもたくさんいます。私の場合は、主人がなんでも食べてくれる人だからよかったけれど、中にはタイ料理が一切ダメという旦那さんもいます。だからタイ人の奥さんは、しかたなく日本料理を作るけれど、やっぱりタイ料理が食べたいんです。私は彼女達の気持ちがよくわかるの。自分も日本に来た頃はタイ料理が懐かしくてしかたなかったから。でも、1人分のタイ料理を作るのは面倒ですから、1食分ずつパックされている冷凍のタイ料理はとても便利なんです。
タイ料理を愛する人々に会えるタイフェスティバルに感動!

完成したてのプラトーン・アジアンフード市原君塚店。プラトーンとは、タイ語で金魚のこと。「とても縁起のいい名前なんですよ」とナティニーさん。

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ナ:自分で商売を始めて5年くらいで今の形になりました。3年前までは、私個人の名前で仕事をしていましたが、会社をつくって株式会社にしました。
利:私はずっと建設会社に務めていましたが、5月に退職して夫婦で仕事をするようになりました。商売とは無縁の世界にいたので、戸惑うことも多いですよ。
ナ:でも、よくがんばってますよ(笑)。
利:この仕事に本腰を入れるきっかけは、タイフェスティバルでした。私はフェスティバルといっても、在日タイ人をターゲットにしたこぢんまりとしたイベントかな、と思っていたんです。しかし実際見に行くと、日本の若い人たちが行列を作ってタイ料理を買い、食べている。ものすごくうれしく思いました。それと同時にタイ料理というジャンルは将来性がある、と確信しました。
ナ:タイフェスティバルは2005年から出店しています。タイフェスティバルの前は本当に忙しいです。レストランへの納品もいつもどおりあるし、タイフェスティバルに出店するお客さんの注文がものすごく増える、そして自分たちが出店する分も作らないといけない。毎日全員で残業です。
利:その疲れがピークに達するのが、タイフェスティバルの当日です(笑)。
ナ:タイフェスティバル当日はものすごく忙しいし疲れるけど、楽しい。その日は疲れを感じないの。テントの中にいると、お客さんがウワーッと迫って来て、行列を作って待ってくれている。そして食べたお客さんが、おいしかったと声をかけてくれる。それがすごくうれしい。あのお客さんの列を見たら、休憩なんてできない。朝から晩まで作り続けるしかないの。そう、トイレに行く暇もないですよ。でもタイフェスティバルはやめられない。クセになります。
利:タイフェスティバルだけでなく、タイには関係のない色々なイベントへの出店、特に3年ほど前にキッチンカーを購入し出店した幕張メッセではデビューしていきなり売り上げNO.1となるなど、タイ料理の人気があることを実感しました。最近では地元である市原の市民祭りや地元幼稚園のバザーなど、さまざまなイベントに呼ばれるようになりました。イベントに出ると、タイ料理がすっかり日本に浸透しているのを実感します。
ナ:お客さんはもうパッタイのことを「焼きそば」とは言わなくなりましたよ。みんな「あ! パッタイがある!」って言ってくれる。

大切なのは家族の支えと自分で努力し続けること

ルークチンやサイウアは、工場で毎日手作りされている。取材時の作業はサイクローク作り。出来たてのサイクロークはオーブンで焼かれ、そのまま瞬間冷凍される。

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ナ:このお店(プラトーン・アジアンフード市原君塚店)は、完成したばかり。お店の半分は食堂、半分はタイの食材やうちの工場で作った惣菜などを売るスペースにしています。“食堂”にしたのは、お客さんにタイ料理を気軽に楽しんでほしいから。ここは田舎だし、レストランというより食堂のほうが合うでしょ?

周りからは「ここまでするのに大変だったでしょ?」と言われますけれど、私は大変だと思ったことはないの。もちろん来日したときは言葉の問題が大きかったし、今でも漢字を読むのに時間がかかります、でも、大変とは思わないの。自分で選んだことだから、どんなに忙しくても楽しいです。

成功する秘訣ですか? そうですね……“支え”と“努力”ではないでしょうか? 自分1人だけでは何もできません。私は工場とお店を切り盛りして、主人は営業を担当してくれています。家族の協力と支えがあったから、ここまで来ることができたと思っています。そしてもうひとつは、あきらめないで努力し続けること。それが大切。どんな仕事でもね。
利:これからさらに、日本の若い人たちにタイ料理を好きになってもらいたい。中華料理ほど浸透するのは難しいかもしれませんが、タイ料理がさらに日本の社会に根づいてくれることを願っています。

株式会社 プラトーン・アジアンフード
千葉県市原市五井4783-1
●TEL 0436-23-1542

プラトーン・アジアンフード市原君塚店
千葉県市原市君塚2-13-11 パールクレイ1F
●営業時間11:00~22:00
●無休(イベント出店時は臨時休業)

http://plathong-asianfood.com/